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子供を産み育てたいと思う日は来るのだろうか

お久しぶりです。

カウンセリングは10月に終了しました。

私から終了したい旨を先生にお伝えしました。

カウンセリングのことはまたぼちぼち書いていこうと思います。

終了したのは、完全に傷が癒えるってどういうこと?と思ったからです。

私にお金の余裕があれば、あと1、2年通って私の考え方の癖にカウンセラーの方の助けを借りながら、向き合いたかった。

けれど、それは金銭的に厳しい。

そしたら、原因と自分の気持ちは分かったのだから、終了時期は自分で決めるのだなと思い、先生に終了したい旨を伝えました。

目次

子供について

子供については結婚当初から悩んでいるし、結婚前から考えているのだけれど、

猛烈に子供が欲しいと思ったことがない。

現在、結婚して9年が経った。

結婚して2年はお金を貯めようと思った。実際にお金はなかったが、お金がないから今は難しいのだと先送りしていたようにも思う。

お金がある程度貯まれば、結婚して2年も経てば子供が欲しくなるはず、未来の自分に期待した。

2年後も子供が欲しいという強い気持ちは生まれなかった。

しかし、20代後半ということもあり妊活を始めた。

訳も分からないまま、目をつぶってどこかに飛び込むような気持だった。

義務的な行為になり、生理が来ても子供が出来なくて悲しいというか、

受験に失敗したような、就職に失敗したような気持だった。

1年が過ぎ、不妊なのかを検査してみようかと病院に行ったところ、いつの間にか不妊治療の流れに乗っていた。

とはいえ、私の行った産婦人科は不妊治療専門の病院でもなかったので、タイミング法からとなった。

私は「不妊治療をしたい」とも一言も言っていないのに、いつのまにか不妊治療に進んでいて不思議だった。

「不妊の検査をしたい人」と「不妊治療をしたい人」は必ずしも一緒ではないと思うし、同時ではないと思う。

結果を見て考えたい人もいると思う。

とまぁそんなことも言えずに、というか言えなかった。「不妊の検査だけしたい」と言ったら、白い目で見られるんじゃないかと思った。病院側は産婦人科に来る人は、みんな子供が欲しいと思っているのだなと感じた。

タイミング法を数か月行ったけれど、授からなかった。妊娠への強い希望がないのに、排卵を促す注射や、行為のタイミングを病院側に指定されるのは思っていた以上にストレスになっていたらしく、情緒不安定になり夫に当たった。

数か月で不妊治療は止め、病院へ行くのを止めた。

その後、私の今までの態度やいろいろなことが重なり、夫がうつっぽくなり、もう好きじゃないと言われた。

離婚したいとも言われたが、私は夫といたかったので、なんとか努力し関係は改善したが、その時からレスになり今も続いている。

レスは改善したいけれど、また子供が出来ない問題に向き合わなければいけないのか、可能性は低いが子供ができたらどうしようという不安がある。

私の憧れていた幸せ

私が憧れていた幸せは大好きな人と猫と暮らすこと。

そして、私が好きなことをして生き生き暮らすこと。

私の両親は子供の頃喧嘩ばかりしていた。もうそういったこととは関わりたくないのだ。

私のことでもよく喧嘩していた。ああ、私って喧嘩の種になるような存在なんだなと思った。

家族の争いに関わりたくない。

結婚したからには子供を作らなければいけないと躍起になっていたけれど、

子供ができなくてほっとしている自分がいた。

こんなふうに生きてもいいのなら・・・・・。

以前、子供のいない女性が集まる会に1度だけ行ったことがある。

30代前半の頃に行ったのだが、参加者の方は40代くらいの方が多く、子供が欲しかった人が大半を占めているように感じた。

そんな中、年齢が近そうでカラッとして雰囲気の方がいたのでお話させていただいたところ、

「もともと子供が欲しい気持ちはなかったけれど、婦人科系の病気をし、現実的に子供が作れなくなった。ほっとしている。」と話していたのが印象的だった。

本当は欲しかったけどそう言っている可能性もあるが、彼女の雰囲気はカラっとしていたし、

その気持ちが本当なら子供を持ちたくない女性が子供を持たない選択をするのは非常に大変なのだなと思った。

病気など大きな理由がないと納得させられないのか。誰を納得させるの?という感じだが。

子供時代のトラウマ

子供を産みたくない女性のことを調べていると、子供時代のトラウマがあるからだというのをよく目にする。

逆に、子供時代のトラウマを子育てを通して乗り越えたというのも度々見かける。

それを見るたびに、子供時代のトラウマを乗り越え子育てすることが美しいんだろうな、と思ってしまう。

子育てをしない限り子供時代の傷は癒せないのか。

子供時代の傷により出産や育児を避けることは逃げなのか、なども考えた。

子育てをして向き合わなければいけないのか。

でも、このことを考えると頭が痛くなるし、お腹も痛くなるし体が拒否しているのだよね。

別に傷を完全に癒せなくてもいいし、傷つくなら近づかなくてもいい。

治る傷ばかりじゃない。そのくらい自分は傷ついた。

傷ついた自分をさらにいじめることはない。

安心な環境で安心して過ごせることだ大切だ。

と今日強く思った。

傷ついた自分をさらにいじめることはない。

とまぁいろいろ考えて

カウンセリングをして自分の人生を生きれていなかったことを知った。

36歳だけれど、自分人生はまだ0歳なのだ。

まだまだ自分のためにやりたいことがある。

そして、いつか猛烈に子供が欲しい日がくるのかもしれない。

その時、もうどうしようもない年齢だったらその時はその時だと思った。

今の自分を無視して未来の自分には繋げられない。

私と夫が満足している暮らしならいいのだ。

今の自分の声を大切にする。

と思った日でした。

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