最近、カウンセリングに行くのは自分のだめなところ、
ダメ出しをしに行くような気持ちになり少し気持ちのパワーが必要になる。
しかしながら、カウンセリングはダメ出しをしに行く場所ではなく、
自分が「こんな考え方をしているんだな」というのを気づきに行く場所なのかなと思う。
カウンセリングから2日後の今日、思うこと。
好き嫌いで判断する自分
カウンセリングで先生に言われた、
自分が好き嫌いで判断しているのでは
という言葉が頭に残っている。
思い返せば母は「好き、嫌い」の人である。
好きになれば全部許すし、嫌いになれば全部嫌いといったような人。
そんな人にはなりたくなかったのだ。
だけれど、思えば私は好き嫌いで判断しているのかもしれない。
子どもの頃って叱られると自分のせいかなと思う。
叱られて嫌な気持ち、叱られた自分が悪いんだと。
だけれど、成長のなかで親が「叱る=あなたが嫌い」ではないんだよというメッセージを発信してくれると、
子どもは安心するのだと思う。
「やったこと」と「人格」を区別する。
そこが私は「セット」になってしまっているのかも。
たとえば「マナーの悪いことをする」=「最悪な人柄」・・・かは分からない?
「派手な格好」=「怖い人」・・・かは分からない?
というような。決めつけ。
なんで決めつけをするのかというと決めつけた方が考えなく済んで楽だからかな。
あとは、
関わる人の「嫌い」のエリアに一度入ってしまうともうおしまいだという気持ちがあり、
「嫌い」のエリアに入らないように必死で生きている。
「好き」「嫌い」も決めつけのようなものなのかも。
「私の好きな人が悪いことをするはずがない」「嫌いなあの人が言った言葉はきっと私に対する嫌味だ」
というような。
母の数々の「決めつけ」「思い込み」を見ているうちに、
嫌な気持ちになりながらも、同じような考えをいつのまにかしてしまっているのかもしれない。
「セット」の考え方が当たり前になってしまい、「セット」になっていることにも気づかない。
絶対的なものがほしい
なんで、「嫌い」「好き」とエリアを分けて、そこに置いておきたいかというと、
絶対がないと不安なのかも。
いちいち考えたくない。
あの人は裏切るのかな?どんな人なの?
ずっと考え続けているよりは、自分で判断して振り分けたいのかな。
ばかにされたくない
仕事での悩みというか思うことを先生に話したら、
仕事を本当に頑張っているんですね
と言われ、ばかにされているのかなと思ってしまった。
私はただのしがない事務職で、必死で頑張っている私を馬鹿にされたのかなと。
馬鹿にされているのかなというのは、日常で度々思う。
自分のことを自分が馬鹿にしているからなのかな。
おわり
もんもんとしていたら唇の内側を噛んだので今日は早く寝よう。
風の強い日はだるくなる。
コメント