昨日のブログで書いた「尊重」するについて。
私は親から「尊重」されてなかったなぁと思うと。
怒りが湧いてきた。
子どもとして可愛がることもいいのかもしれないけれど、
一人の人間として尊重するのってすごく大切なことだ。
手紙や日記を勝手に読まれたり。
私の悲しみや苦しみを勝手に大したことないと決めつけたり。
性格をバカにしたり、否定したり。
容姿をバカにしたり、否定したり。
能力をバカにしたり、否定したり。
親だからってしていいものではない。
私は自分のことをバカにして尊重していないし、
周りの人のことも尊重できていないのじゃないかと思う。
私は母の思い通りになるように頑張ってきた
母の機嫌や決定で私の日々が決まる。
子どもの頃ってそうである。
だから、お母さんって大切。
私の意見や気持ちを伝えて、母の考えに合っていないと、
それは母を「否定」したと解釈され、
「私が悪いんでしょ」が母の決め台詞だった。
母の気持ちや考えに沿っていないことは母への「反抗」と思われる。
だから、私は自分の意見を言うのが怖かった。
「自分の意見を言う」=「相手を否定している、反抗」だと思い込んでいた。
逆に意見を言われるのも怖かった。
「相手が意見を言う」=「私を否定している、反抗」だからだ。
怖い、怖い。
母とはコミュニケーションをとっているようで、顔色を窺っている。
母の機嫌が私の世界の全て。
でも、それは小さい頃の話。
今の私は母と二人きりではないのだ。
「意見」=「否定」ではない。
考え方の筋トレ
そうは言っても長年染みついた考え方はすぐには変えられないなぁとも思う。
すぐには変えられなくもいい。
すぐにできるようになれなくてもいい。
ちょっとやるのと全くやらないのは全然違う。
ちょっとずつ、自分を尊重して周りを尊重する。
私は相手の思い通りに動かなくてもいいし、相手は私の思い通りに動かなくてもいい。
なぜなら、もう母にお世話してもらわないと生きていけない子どもじゃないから。
私は周りが思い通りに動いてくれなかったり、仕事中にのんびりしている人を見ると、
イラついてしまう。
周りを尊重できたらイラつきは少なくなっていくのでは、と思っている。
とはいえ、毎日イラついたり疲れたりしている。
お疲れ様自分。
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