私は家庭の中で、主に母から期待と評価をいつもされていた。
「~してくれなかった」「あなたは冷たい」
などとよく言われていた。
期待され、評価されていた。
母の期待に応えることで評価され、応えないと評価されなかった。
評価されないと私の価値がないように思えた。
期待に応え、良い評価をもらうことが私の価値を証明する方法だった。
だから、今でも人の期待に必死に答えようとしてしまうし、
期待に応えない人は見ていてイラついてしまう。
察してくれないと怒るのは相手の領域まで侵入しているのでは
「気が利かない」
と母からよく言われた。
仕事でこれから起こりそうなこと、必要なものを先回りして準備するのは、
大切だし素晴らしいことだと思う。
けれど、人の感情を先回りしたり、してほしそうなことをしてあげたりするのはどうだろう。
喜ぶかは分からないし、人それぞれ。
してもらって嬉しかったら感謝したらいいし、自分がやりたいと思ったらやればいい。
けれど、
「なんで私の気持ちや行動を察してくれないの?」「察してよ」
と相手に察することを強要するのは、相手の領域に踏み込んでいるんじゃないのかなと思った。
自分がされて嬉しいことと、相手にされて嬉しいことは違うかもしれないし、
相手の考えていることは、自分の領域ではない。
気持ちや日常生活は人それぞれで正解なんてないのだ。
母との関係は個人の境界線を越えたものだった
母は平気で私の領域に入ってくるし、
私も母の領域に入って、都合良く動くよう期待された。
私の人生に誰かが勝手に入ってきて、私を幸せにしてくれることはないし、
私が誰かの領域に勝手に入り、誰かの人生を幸せに導いていくことは難しいのだと思う。
境界線があるから相手が認識できる。
相手は私のコントロールが外。
気持ちも行動もコントロールできるものではない。
お互いがお互いの気持ちを全て把握していれば安心だと思う。
でも、違う生物なのだからそんなのはありえない。
なんで、全て把握していることが安心だと思うのだろう。
全て把握していたって、私がどうすることもできないのに。
私が人の人生に干渉できると思っているから、把握していたいのかな。
私が母から干渉されてきたように。
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